ひめしょ!ココシナリオその他

ひめしょ、やってます。
コシナリオでコハルがナコトの声真似するところが大爆笑でした(笑)
それと、そのシーンでのみ登場する先輩とのやりとりが(笑)
「うわ、僕この人好きかも」
な感じのやり取りをするあたり。
で、ココシナリオをクリアして、今はサキシナリオをやってる途中なんですけど。
このゲームのライターさん、結構凄いかも。
前にやった時も単なる笑える馬鹿ゲーではないな、って思ってたんですけど、改めてやり直してみると、結構考えさせられるテキストがチラホラ。
昨日も書きましたけど、ココの母親との会話もそうですし。
さっきまでやってたのですが、サキ=宇宙人=自分と違う存在に対する考え方とか。
サキがコハルに「私が宇宙人と言われて怒ったのは何故?」みたいな事を聞く場面があったんですけど。
怒ること自体が差別だ、って感じで書かれてたんですよね。
それ見て、なるほどなぁ、って改めて思ってしまいました。
ゲーム内でも同じことが書かれているのですけど、例えば私が誰かに「この地球人め!」って言われて怒るかって言えば、そんな事はないわけで。
他の第三者がそれを聞いて、言った相手に怒ったとしても、私からしてみれば「この人、ナニ怒ってるの?」って感じですし。
で・・・これって、現実社会でも結構似たような場面ってあるのですよね^^;
例えば・・・障害のある人に対する時。
そういう人に対して、妙に気を使う人って居ますよね^^;
妙に、というより、過剰に気を使う人。
障害がある人の前では障害に関する話をする事すら悪いことだ、って感じで考えている人。
可哀想だから、って理由だと思うんですけど。
それって、そう思うこと自体が、相手を見下しているって事になると思うんですよね。
自分は健常者で、相手には障害がある、だから可哀想だって意味なんですから。
前に、ふとした世間話から、障害のある人・・・具体的にはろうあの方なんですが、その人がどういう時に傷つくかって話を聞いたことがあるんですよ。
直に聞いたわけではなく、人を介して聞いたんですけどね。
で、どういう時に傷つくって答えたかと言いますと。


耳が聞こえないことに対して、必要以上に同情されると傷つく。
耳が聞こえない事は事実だし、自分はその事を受け入れているのだから、耳が聞こえないことを含めて自分を受け入れて欲しい。


という事でした。
これを聞いたのは私がまだ学生の頃で。
正直、ちょっとショックでした^^;
今でこそ、それがその人なんだと普通に考え、相手に合わせるだけにしていますけど・・・
例えば、足が悪い人と一緒なら歩くペースをゆっくりにしたり、友人が腹を壊してたら「肉喰いに行こ、肉!」と言ったり(マテ
当時の私は、障害とかに過剰に反応する人間ではなかったのですが、それでも可哀想だなって同情していましたから。
・・・話がずれまくってますね(笑)
というか、自分の考えを文書にするのって本当に難しいですね^^;
まぁ、難しいのもそうですが、寝不足の頭で深夜に書いているのも問題だと思うのですが(笑)
・・・ん、結局のところ、このゲームをやっていて色々と考えてしまう事もあるなぁ、ということです(笑)
・・・・・このゲームの通常シーンのノリはトコトンお馬鹿だけどなっ!(笑)
おまけにシリアスシーンでもお馬鹿な会話が入りますし(笑)
そんなわけで、コンプリする予定です(笑)
・・・あ、念のため・・・
同情する事は、別に悪い事ではないと思います。
気を使うことも、過剰でなければ悪いことではない・・・むしろ、相手のことを思うなら、当然の事だと思います。
ただ、受け入れている相手に対して”可哀想だ”と思う事が、あまり良いことではない、と。
可哀想だから気を使う、ではなく、相手の身になってみて大変そうな事だから気を使う。
あ、更についでに。
過剰に気を使うのがいけないからといって、全く気を使わないのも逆の意味で悪いことかと(笑)
耳の聞こえない人をクラシックのコンサートに誘ったり、目の見えない人を美術館に誘ったり。
腹壊している友人を焼肉に誘ったり(笑)
いや、最後のは単なる嫌がらせですが(笑)
と、障害とかを抜きにして、さりげなく気を使える人間になりたいなぁ、と思ったりなんかしちゃった綾辻でした。